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生西聖治(いくにしせいじ)

私は、人の心と身体はあらゆるモノから影響を受けていて、どこまでも広がっていく、という感覚から、その情報を集約しておく場所が欲しくて、このサイトを開設しました。

なぜそのような感覚にいたったのか? は、とても一言では説明できません。1つは、たまたまパーソナルトレーナーという職に就き、いろんな人の心と身体に触れる機会が多かったからです。また自分が50kgのダイエットを経験し、その過程において、過度のトレーニングから全身に慢性的な痛みや怪我を抱え、その状態から元の機能を取り戻すまでに自分の身体と対話し、試行錯誤した経験も多分に影響しております。

また、元々大学で栄養学、免疫学、香りの科学、微生物学、生化学、有機化学などを学び、統合的に血や骨や筋肉や免疫など身体のあらゆる細胞と代謝は食品によって作られ、保たれるとことを学んでおりました。例えば香りは鼻の食べ物であり、鼻が食べた物質は体内に取り込まれ、その物質特有の影響を身体に及ぼすというイメージを持っていました。食品や香りと、神経伝達との関係性を物質単位で理解していましたので、精神的な浮き沈みも身体に取り入れるモノに強く影響を受けると理解しておりました。精神的な浮き沈みで言えば、耳から入って来る音楽や言葉、目から入って来る色彩や情報そのものにも人は強く影響されます。五感の全てが心と身体の強さと弱さ、固さと柔らかさ、滑らかさや弾力性など、その人間の有り様に影響を与えているのです。

更に例えば腸内細菌ですが、腸内細菌の存在なくして、人は健康な状態を保つことが出来ません。生物学的には共生しているという表現を使いますが、腸内細菌が無くなって、人が生きていけないのであれば、腸内細菌は人の一部だという考え方もできるのではないでしょうか?


それと同じ意味で酸素や水が無いと人は生きていけません。空気中に漂っている酸素、空や河川や海を回っている水もまた、人の一部だと考えてはダメでしょうか? そうイメージすると人の身体はどこまでも広がっていくのです。


身体の細胞がどこまでも広がっていく感覚や、何かと繋がっている感覚、時には流れ出たり溶け出したりするイメージを持ち、逆に吸い上げたり固まったりするイメージを持つこと。それら五感を駆使して身体と対話し、何らかのイメージを持つこと。私はそれを『氣』の力と呼ぶのではないかと思っています。筋肉、血液、神経、リンパ、経絡といった、自分の身体の中だけで完結するモノではなく、時に回りのモノや人から取り入れ、時に回りに排出しようとイメージする力。それらを氣の流れと解釈すると私は合点がゆくのです。

なぜそのようなイメージや感覚を持つようになったのか?ですが、取っ掛かりはダイエットのために始めた筋トレでした。筋トレやリハビリにおいては、使っている筋肉を意識したり、骨の動きをイメージしたり、トレーニングやリハビリ後、自分の身体がどう変わっていくかを想像したりすることで、得られる結果が変わってくる、ということを知りました。それはあらゆる動作の根幹にあり、スポーツの実践においても、自分のプレイだけでなく、敵や味方やボールやゴールの位置関係、つまり空間を認識し、数秒先の未来をイメージしてプレイするかしないかで、勝負が大きく左右されるということに通じてきます。また統計学を学んだ時に、プラセボ効果とノセボ効果を知ったことも大きな要因の1つです。思い込む力、つまり強くイメージすることによって起こる心と身体への影響のメカニズムは未だ解明されておりません。それでも思い込みの力、『強くイメージする力』によってもたらされる心と身体に影響は統計学上にも無視できないのです。

また次のような考え方からのアプローチもあります。例えば人工知能を備えた犬型ロボットや人型ロボット。それらは、鉱物であるはずなのに、時間と空間を共にすることによって徐々に感情移入し、そのロボットが再生不能になった時、愛するモノを失った時と同じような悲しさに見舞われる現象。またそれが無いと日常生活が不自由であったり空虚に感じる状態。これまでは存在していなかったロボットなので、いなければいないで起こらなかった現象です。しかしそれがひとたび発明されてしまって、時間と空間を共にしていると、鉱物にさえ、人間の気持ちは大きく左右されるようになるのです。もはやそのロボットと化した鉱物は、腸内細菌と同じように人間の健康状態を左右する人間の一部だと考えてはダメでしょうか?

そのように考えうる源は次のような理由です。

生命の起源に関する説は数多ありますが、確定的なモノにはいたっておりません。私もそれらを全て理解しておりません。ただ無から有が生まれた最初の一歩が宇宙のどこかであったのは確かです。自己で複製し、エネルギーを獲得し、代謝し、子孫を残していくという生命の仕組みが、どこからどうはじまったかも定かではありませんが、放っておいては何も起こらない鉱物の世界から、命を繋いでいくという飛躍的な変換を遂げるための確かな一歩があったのです。その一歩無くして今の私たちの命は有り得ません。そのゼロからイチを生み出す前のゼロの世界の影響、つまり鉱物の世界の影響を人間の身体が受けていても何ら不思議ではないと思いませんか? 


パワースポットを訪れたり、アクセサリーとして鉱物を身につけたりする事によって、疲労が回復したり、気分が落ち着いたりするという科学的な根拠はまだ解明されておりません。不確かなモノですので、私の性格上安易に人には勧められません。がしかし、かと言って否定する訳でもありません。科学的に解明されていない事はたくさんありますし、「これは身体に良いんだ!」と強くイメージすれば、プラセボ効果で3割ぐらいの人には効いてしまうのです。


従って今の段階で言える確かな事は、自分のイメージが及ぶ範囲の全ての物質が、薬にも毒にも成り得て、心と身体に影響を及ぼすのです。それらを『氣の流れ』とか『氣の力』と何千年も昔から表現していたのではないでしょうか? 

いかがでしょうか? 私が冒頭に書いた『人の心と身体はあらゆるモノから影響を受けていて、どこまでも広がっていく』という感覚が、少しは伝わったでしょうか? 心と身体を整える、というと、各種エクササイズやスポーツ、マッサージやストレッチなどのコンディショニング、食事や休養などが思い浮かぶかも知れませんが、無意識の内に触れている音楽やファッション、何気ない風景や様々な情報やテクノロジーなども、心身に影響を与えているのです。それを上手に取り入れるかどうかは、本人の意識とイメージ次第です。

アスリートと言っても、野球選手と水泳選手とダンサーの調律は違います。同じ人でも例えば10代、30代、60代と、年齢によって調律は違ってきます。沖縄で生まれ育った人と、北海道で生まれ育った人の調律も違うでしょう。風邪を引いて体調が芳しくない時と絶好調時の調律も違います。人にはそれぞれの調律があり、その人だけにスポットを当てても、場所や季節や年齢や社会の変化によって、日々違った調律が必要になってくるのです。

多くの人に当てはまる一般論を知ることは大切です。ただそこから自分に必要なモノ、自分にあったモノを探し出し、自分の生活に取り入れていく事の方がもっともっと大切なのです。


日々心と身体の声を聞き、自分が理想とする調律を施す。その調律方法に正解はありませんし、完成もありません。私も毎日自分の身体と向き合っています。今日向き合う自分の身体とは、今日初めて出会うのです。昨日の自分より悪くなっていれば何が影響したの推測し、同じ過ちを繰り返さないようにする。何か好転していることがあれば、継続するのですが、それに固執したり、やり過ぎたりしないようにする。その繰り返し、積み重ねが、多くの病気を遠ざけ、慢性的な痛みや疲労の軽減に繋がります。


それはアスリートであれば選手寿命に直結し、美容に関心が高い女性であればアンチエイジングに直結し、老後を考える人にとっては健康寿命の延伸に直結します。

自分で健康な状態を維持出来る人が増えて欲しい。他人に任せっきりになったり、依存するのではなく、自分で努力して元気になろうとする人、綺麗になろうとする人が増えて欲しい。言われたから、与えられたから、みんながやっているからやるのではなく、自分にとって必要なトレーニング、調律とは何だろう?と考えるアスリートが増えて欲しい。いつもそういう思いでいっぱいです。みなさんがご自身で心身を調律する糧になるサイトになれば幸いです。


2015年12月1日 偶然にも大安吉日 何気なく巡り合わせた根拠も知らない「大安」という文字にさえ、生西の心は少し浮かれます。人間というのはそういうモノなのでしょう。 

                         一般社団法人日本トレーナー協会代表理事 生西聖治