『歳を重ねる』という事について

2年ほど前から家庭菜園をはじめて、より注意深く、植物や人や社会や環境を観察するようになって感じたことです。年が切り替わる日にはもってこいの内容なので書いておきます。

『若さ』というモノには、ただそれだけで価値があります。勢いがあって、傷みが少なく、まだその先の時間がたくさん残されているからです。この先どうなっていくのだろうとワクワクさせてくれるのです。


生西はこの夏に食したマンゴーを、種から育てています。試行錯誤し、色んなことを学んでいます。陽当たり、温度、風通し、水やり、鉢の大きさや剪定。例えば、同じように育てているつもりでも成長に差がある事、つまり人間の身体と同じように、個体差が必ずある事を再認識させられました。また種から発芽まで、発芽から根が張るまで、根が張ってから植え替えまでなど、成長過程によって育て方が違ってくるのも人と共通しています。特に幼い頃は毎日よく観察して変化を感じとってやらないと、1つの過ちで枯れてしまう事もあります。

そう言った意味では『若さ』は『儚さ』や『貧弱さ』も合わせ持っていると言えるでしょう。人間の場合、精神的な未熟さによる儚さや貧弱さだと考えるとしっくりきます。身体は強靭で夢を持ち逞しく生きているように見える子供ほど、精神的な脆さを隠していて、大人に気付かせまいとし、大人も気付かない場合が多いので、注意しなければなりません。

 

 それに付随した1例として、マンゴーでも勝手に育っていく種もあれば、手入れしないといけない種もあります。ある1本のマンゴーは夏場に先端が枯れ、勝手に3本の枝分かれをし始めました。しかし他のマンゴーは枯れずにただ真っ直ぐ成長していました。調べると、特に鉢などで育てる場合は、上にばかり伸びないように剪定が必要だと書いてあったのです。

が、どの程度成長した時に剪定するべきか、どの箇所で切るべきか、季節はいつが良いのか? 切ってそのまま枯れてしまったらどうしようか? などなど、悩みだすと考える点は多々あるのです。それでも剪定しない訳にはいかないので、いろんな意見を吸い上げ、マンゴーを入念に観察し、剪定した結果、つい先日、剪定した脇から新芽が出てきているのを発見し、ホッとしている状況です。



 『若さ』と対局にあるのは『老い』ですが、『老い』と言うと良いイメージを持たれないかも知れません。違う言い方をすると『未熟』と『成熟』。『浅い』と『深い』、『甘い』と『辛い』、『ぱみゅぱみゅ』と『ばみゅばみゅ』でも通じるかも知れません。威厳とか風格といった言葉はある程度経験を重ねないと浮かび上がってこないワードでしょう。

生西のスタジオからは、目黒雅叙園の庭が見渡せます。ウィキペディアによると、1931年に岩永省一邸として記録された建造物に増改築を進めて「目黒雅叙園」と名付けて開業したとあります。 ザックリ見積もって85年の歴史がある庭です。この庭には二羽ニワトリがいます…ではなく、この庭には明らかに風格があります。枝葉の広がり、入り組み具合、季節を感じさせる色彩の移り変わり、鳥や昆虫の鳴き声。この庭に沿って通っている急こう配の行人坂を行き交う人達を、ずっと見てきた貫禄。何人もの人が何十年も手入れして維持してきた尊大さがそこには感じられるのです。

  

時間の流れによってでしか得られない自然の凄みがあります。時間が制御できない以上、どのように時間を流していくかが重要です。日々手入れを欠かさなかった10年と、何もしなかった10年。観光地になるような立派な庭になるか、ただの荒れ地になるか。

  

 人間も自然なのです。時間の流れは制御できません。ゆえに日々どう生きるかが重要であり、今日の手入れが明日の自分、5年後、10年後の自分を創っていくことを常に心に留めておく必要があるのです。

綺麗にまとめようと思っていましたが、どうも気持ち悪いので、ここからは蛇足的に。

 

 生西は人の身体の手入れを手伝う仕事です。ただ、生西は何か治せるとか、誰かを変えられるとか思っておりません。カウンセリングし、身体をよく見てから推測し、方向性や手法を指導することは出来ますが、日々の手入れはご自身でとお願いしております。そうした方が、治りが早いし、本人の自信に繋がりますし、費用も掛からないと考えているからです。

 

世の中には、いかに依存させるか、リピートさせるかを考えて商売している人達もたくさんいるようですが、そういう人達には、生西の言っていることが死ぬまで理解できないと思います。生西もそういう人達がどういう理念を持って生きているのか理解できないので、お互い関わらず違う道を生きればいいかと思います。


現状、生西の考えの方が圧倒的にマイナーです。それは受け手の問題もあります。みなさん自分で努力はしたくない。時間がないとかスペースが無いとか面倒くさいとか言い訳が大好きなようです。座っているだけで良い、飲んで寝ていれば良い、装着すれば良い、その類のモノがいつまでも売れ続ける状況です。

 

生活習慣や食事内容を見直せば改善さるような病気でも、そこは見直さず薬に頼る。副作用の少ない薬が出れば更に良しとして依存し続け、医者も商売のために処方し続ける。日々のケアを続ければ改善される痛みについても、痛み止めや湿布でやり過ごそうとする。不正に保険を適用してマッサージや整体をする人間がいて、明らかに不正だと分かっているのに自分が恩恵を受けたいからと言って告発せずに通い続ける客がいる。安くしないと競争できない、という腕の人間しかおらず、信頼されないから依存させることでしか経営を維持できない治療院で、自分さえ安く揉んでもらえば良いや、という、見つからなければ不正をしても良いという精神の人間ばかりが集まる場所で、心身の何が良くなりましょうか? 

 

そういった人達の積み重ねが医療費をはじめとする社会保障費をじりじりと圧迫し、自分達に何らかの増税となって跳ね返ってくるのです。で、不正をしている人間に限って、増税だというとブーブー騒ぎ立て、文句ばかり言うのです。本当にちょっとした増税で命を奪われる人もいるのに、自分の罪には気付こうともせず、自分だけは利を得ようと生きている人間がたーくさんおります。人間とはそういうモノですし、それで日本は成り立っているのですから、それで良いのです。突っ張るか、おもねるか。集団に属している人の多くはおもねています。1人でいる人間は突っ張っている事が多いですが、1人では社会を変えられないので、祭り上げられない限り、メジャーになる事はないでしょう。

話が随分とそれました。

 

日々自分がとっている行動の全てが未来の自分や社会を創っていくのです。時間を掛けて、試行錯誤され、丁寧に築き上げられてきた心身や自然や社会は魅力的です。哲学、生き方や生き様が、表情や雰囲気や有り様から感じられるからでしょう。それが自然の一部である人間や社会の絶対的価値です。 歳の重ね方。一瞬一瞬が勝負で、日々心身は変化していきます。二度と同じ状態にはなりません。その繋がりは死ぬまで止めどなく続き、暦で数字が変わったからといって、特別な線引きがされるわけではないのです。

  

まずは自分の身体と心をよく観察しましょう。時間に余裕がある時こそ、ダラダラせずに、自分の身体と心を丁寧に見てみましょう。改善していく点が見つければすぐに改善し始めましょう。それが充実感とか幸福感とか生きている意味を見出すきっかけになると、生西は確信しております。

生西聖治の心身調律メソッド

心と身体の繋がりと広がり。見るモノ、聞こえるモノ、香るモノ、味わうモノ、触れるモノ、感じるモノ、その6感の全てが心身の調律に関係しています。まずは静かに自分の身体の声を聞きましょう。生活習慣、食習慣、職業、年齢、生まれ持った個性、所作の癖など、あなたに合った、あなただけの調律が見えてきます。

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